品格はアクセサリーに近いのかもしれない
今回のテーマは品格についてです。昨今、年の割に考え方が若い方や年齢に沿っていないような行動や言動をされる方が多いように見受けられます。そんな中で品格とはどんなものなのかを考えてみたいと思います。
目次
1.管理者の結論
2.理由と前提
3.反対が正と考えてみる
4.まとめ
1.管理者の結論
早速、結論から参ります。私の意見は「品格は後天的に鍛えられるもの」だと考えています。
生まれや育ち、あるいは立場によって滲み出るものがあるのも事実でしょう。しかし、それを理由に「自分にはない」と決めてしまうのは早計ではないかと思うのです。
2.理由と前提
私は、品格もまた“型”に近いものだと考えています。
スポーツや武道の世界では、まず型を徹底的に身につけます。構え、所作、初動。繰り返し身体に染み込ませる。そこに個性を乗せるのは、その後の話です。
品格も同様ではないでしょうか。
挨拶をする、時間を守る、約束を守る、言葉を選ぶ、感情をそのままぶつけない。
どれも特別な才能ではありません。意識し、繰り返し、修正し続けることで精度を上げていくものです。
武道に礼法があるように、社会にも礼法があります。
室町時代から続く武の世界が「型」を通じて精神性を磨いてきたことを考えると、日本人は昔から「外形を整えることが内面を整える」と知っていたのかもしれません。
最初はぎこちなくてもよいのです。
正確に、丁寧に、繰り返す。そうすれば、やがてそれは自然な振る舞いになります。
品格とは、特別な瞬間に現れるものではなく、日常の精度の積み重ねなのではないでしょうか。
3.反対を考えてみる
仮に、「品格は生まれつきだ」と考えてみます。
育ちの良さ、家柄、環境。それらが品格を決定するとすれば、後天的努力で埋まる余地は少ないことになります。
確かに、幼少期から整った環境にいる人は、自然と所作や言葉遣いを身につけているでしょう。その差は大きく、否定できません。
しかし、それは“スタート地点”の違いであって、“到達点”の違いとは限りません。
もし生まれだけで決まるのなら、私たちは努力する意味を失います。こんな悲しいことはありません。
また、立場が上がった瞬間に品格が備わるのであれば、世の中はもっと穏やかなはずです。
現実はどうでしょうか。肩書きと品格が比例しているとは、必ずしも言えません。
むしろ、日々の振る舞いを意識している人のほうが、静かな強さを持っているように感じます。
4.歴史的観点から考えてみる
日本において品格とは、武士の時代に「武士道」という概念が形成されたものです。そこでは、強さ以上に「礼」「義」「恥を知る心」が重んじられました。単に勝負に勝てばよいのではなく、そこでどう振る舞うかが問われたわけです。
さらに遡れば、公家社会には作法や儀礼が存在し、言葉遣いや装束、立ち居振る舞いに細かな規範がありました。そこでもまた、外形を整えることが重視されています。
興味深いのは、これらが自然発生的な“気分”や”雰囲気”ではなく、明文化され、教育され、継承されてきた点です。つまり、品格は教えられ、学ばれ、鍛えられてきたということです。
もし品格が生まれつきのものであるなら、わざわざ作法書も礼法も必要なかったはずです。
しかし現実には、社会は長い時間をかけて「どう振る舞うべきか」を言語化し、型として残してきました。
ここから見えてくるのは、品格とは“個人の性質”というよりも、“社会が求め続けた態度”であるということです。
だからこそ、時代が変わっても形を変えながら残っているのではないでしょうか。
5.まとめ
品格は才能ではなく、習慣の積み重ね。
型を正確に繰り返すことと似ています。
もちろん、内面を伴わない形だけの品格は取ってつけたメッキでしょう。しかし、形を整える努力を続けるうちに、内面も整っていくのではないでしょうか。
速さや効率が重視される時代だからこそ、丁寧さを忘れないこと。
その積み重ねが、やがて「この人には品がある」と言われる状態をつくるのだと思います。
あなたはどう思いますか。

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